*All archives* |  *Admin*

2017/08
<<  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  >>
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
天晴れ!
先日、プロゴルファーの岡本綾子さんのことを調べていて、彼女の経歴を知るにつけ、感銘を受けるところがありました。
80年代前半、単身アメリカのプロゴルフ界に乗り込んで行った彼女。世界のAyako、ですよ。
ゴルフのことなんか全然わからなかったけど、当時は女性のプロスポーツプレイヤーが本格的に海外で腰を据えて活動するというのはかなり珍しかったこともあり(女子プロゴルフ界でいえば、77年の樋口久子氏による全米女子ゴルフ制覇の偉業はあったものの)、綾子さんの勇気と英断には「アッパレ!」と心からエールを贈っていたのです。そう、今でも私にとって女性のプロゴルファーと言えば、「世界のアヤコ」と言えるほど、強烈な印象がある(笑)。82年頃だったか、アヤコが初めて米ツアーで優勝(記憶が間違ってなければアリゾナだったかな??)した時は、嬉しくてしょうがなかったなぁ。いや、嬉しいことは嬉しかったけど、それ以上にもう超尊敬でした。

(以下wikiより抜粋)

岡本 綾子(おかもと あやこ、1951年4月2日 - )
樋口久子らと共に日本女子ゴルフの基盤を築いた名選手である。日本の女子選手で初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦した選手としても知られる。
ソフトボールの強豪・愛媛県今治明徳高校に特待生として進学。同高校卒業後、ソフトボール部を創部した大和紡績福井工場(1995年9月閉鎖)に就職。サウスポーの剛球エース兼4番として1971年、和歌山国体で優勝。国体優勝の褒美で、祝勝ハワイ旅行で初めて子供の頃から憧れたアメリカの土を踏む。ここでゴルフ場を見学したのがきっかけでゴルフと出合う。ゴルフを始めた動機は
「アメリカに行けるかも知れない」というものだった。

まだまだこの時代の一般的な(庶民w)日本人にとって、アメリカは遠い国だった。
アメリカへの強いあこがれが彼女の人生を変えたんですね。

1972年に大和紡を退職後、1973年1月に池田CCに入社し、1974年10月に2度目の受験でプロテスト合格。この時「将来の夢は、アメリカに行ってプレーすることです」と答えたが、当時の状況では当然の如く、「やっとプロになったばかりで日本で1勝もしてないのに生意気」と先輩たちの反撥を買う。大和紡時代から、その時のための準備に毎月3万円の給料の中から、爪に火を灯すように貯金をしていた。アメリカで成功するまで実家にもほとんど帰らなかったといわれる。国内のトーナメント試合に欠場して、マスコミの批判を浴びたこともある

まだ海のものとも山のものともつかない頃、すでに遙かな未来を視野に入れて、夢はでっかくアメリカ。
この時代、このようなことを口にすることすらはばかられそうなのに、それをあっさり言ってのけたところが、後の「世界のアヤコ」、そもそもスケールのケタ違いな人だったんでしょうね。

このあたり、同じく海のものとも山のものともつかぬJr.時代に「俺はねー、アメリカで歌を歌いたい」とTV(少クラ)で言ってた仁とかぶる。あの番組は基本ジャニヲタしか見てないけどw、客観的に見ればアイドル王国・ジャニーズの、しかもデビューもしてないジュニアの分際で何を言っているかと思われかねないもの。

ところで、アヤコが大志を持って海を渡って戦っていたのに、国内のトーナメント欠場で批判を浴びたこともあったとは知らなかった。いいじゃん、大きなことを達成しようとするためには、時には捨てなくては(諦めなくては)ならないものもある。どうしてそれをわかってやらなかったんだろう。単なるヤッカミか?w

1981年、日本の女子選手では初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦し。1982年から1992年の間、計17大会で優勝した。1985年には腰痛で引退の危機に直面したが、1986年に復帰2戦目で優勝。1987年にはアメリカ人以外で史上初のLPGAツアー賞金女王になった。同年、年間最優秀選手(プレーヤー・オブ・ザ・イヤー)も獲得。メジャー大会での優勝はならなかったが、単独2位を4度、2位タイを2度経験している。

女子ゴルフのみならず、戦後の女子スポーツ界に多大な足跡を残した人物。また、ジャンルは違えど、野茂英雄をはじめイチローや松井秀喜に代表される現在の日本人スポーツ選手のアメリカにおける成功の礎を築いた第一人者といっても過言ではない。


仁は・・・いずれは何らかの形で復帰してくるだろうとは思っている。
その時、昇りかけていたアメリカへの夢はどうなってるんだろう。

世界のアヤコだって、最初は純粋に(あるいは日本人の庶民的感情wとして)「アメリカに行きたい」というあこがれの気持ちだけでのスタートだったんじゃないかな?

仁だって英語を学んでいく過程で、あるいは夜のクラブ活動wの中で、ある意味純粋に「アメリカで英語で歌ってみたい」「大好きなハリウッド映画に出てみたい」と思うようになって、それが紆余曲折を経てようやく実を結んでいこうとした矢先だったと思うんだけど、どうでしょう?

振り向かずに行こう 遙かなあの未来へ
大きな夢運ぶ 僕らは時の旅人

つながってくhistory 受け継がれた情熱
この胸の誇りは 決して離しやしない


(中略)

Break out! 未来を 切り開く new story
Go ahead! 迷う暇はない 
Don't be afraid・・・Dream on・・・!


もう~、何度でもサマリーの歌詞思い出しちゃうよ。載せちゃうよw←
曲も好きだけど、この歌詞がめっちゃ好きやねん!

仁もこの歌を歌っていた時があった。
その時、もうアメリカへの夢を語っていた。

もう一度原点に戻って、たとえ困難な道のりであっても仁が進んでくれたら、こんなに嬉しいことはないのになぁ。
仁は早咲きの花だったけど、紆余曲折を経ての遅咲きの花になったっていいじゃーーーん!!





(追記)
「世界のアヤコ」について、これを追記せずにはいられない。

「わがままに好きな事をし、行きたい場所を選んだだけに、このようにゴルフ史に名を残す偉大な選手達の仲間入りを果たせるなどと夢にも思っていませんでした」 
2005年に世界ゴルフ殿堂入りを果たしたことについて岡本綾子は自身のホームページでこう語っている。


多少の謙遜もあるでしょうけど、わがままに好きなことをしてきたとか、行きたい場所を選んだとか、仁担としては共感せずにはいられないじゃーありませんか?w
Secret
(非公開コメント受付中)

願い
彼がアメリカへの夢を忘れていない事を願います。
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
What time is it in the world?
で、世界で活躍してくれんの?
twitter
最新の記事
最新のコメント
無記名によるコメント投稿はご遠慮下さい。なお、しばらくコメントレスは休止させていただきます。ごめんなさい。
リンク
月別アーカイブ
カテゴリー
プロフィール

アマノン

Author:アマノン
2003年7月25日のMステで仁と出会う。ジャニーズのくせにビブラートをかけられる歌声に感心し、なおかつ誰よりもしなやかな腰使い(笑)のダンスに心底魅せられる。以来3年間、密かにライトなファンを続けるも、2006年10月以降「休業」による飢餓感から某tubeで過去映像を漁り、仁に完堕ちして現在に至る。
自分の視点で仁への思いをブチまけたくて始めたブログです。
東京都在住。出版社勤務。

管理人へのメール
管理人アマノンへのメールはこちらからどうぞ♪

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
オンラインカウンター
現在の閲覧者数:
更新カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
ブログ内検索
QRコード
QR
拍手ボタン
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。