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2011/12
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冬の夜長の静寂の中で聴きたい曲たち
最近は洋楽(ロック)ばかり聴いていた私もSEASONS/Fifth Seasonの完成度を前にしては、そちらの方は小休止せざるを得ません。

SEASONSは透明感があってなんともlyricalなサウンド、それがいくぶん唐突に終わったかと思うと(この終わり方がまたいい)、今度は同じくバラード系でありながらもタイプの異なる、ドラマチックかつPassionateなFifthへ。この流れが素晴らしく、Fifthはここに入る(Seasonsのc/wになる)しかないというか、収まるべきところに収まっている感があります。

やっぱり、仁はセンスあるわ。音楽のセンスが。

そしてリリース時期も冬の最中である今をおいて他にないだろうというくらい、外が寒くて温かい家の中で聴くのがピッタリな感じ。←できることなら火がパチパチ燃える暖炉の前で聴きたい。でもそんな暖炉はないw

そうそう、前回の記事で触れるのを忘れてましたが、日刊のサタジャニで、ここが一番心に響いた。

ソロでしか得られないものは自分のアイディアがフルに活かせること
今、それができています


「今、それができてます」って。ここ重要。
この言葉を聞けただけでもすごくよかった。
仁が「個」というテリトリーに、いかにフィットしているか、そこに手応えを感じているかがこの短い言葉から十二分に伺えるじゃないですか。

今年は日生友仁~YGツアーのいわば「集大成」としての日本での凱旋コンでソロの音楽キャリアをひとまず締め、映画の撮影、そしてレコーディング(&創作活動)と、表立った活動より露出のない裏側的活動が多くて、結果的に未来のための序章(準備期間)のような感じで過ぎていきましたが、来年からは本格的にJinのStoryが紐解かれていくことでしょう。
今まで仁が温めてきたものが花開くSEASONSになることを心から願い、引き続き見守らせていただきたい。

今年は今回が最後の更新になるかな。私事ですが、喪中につき新年のご挨拶は控えさせていただきますが、
皆様、どうぞ佳いお年をお迎えください。
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ウレぴあを読んだり、ラジオを聞いたり
いやーワタクシ、「ウレぴあ」を読んでちょっとビックリしてたの。
というのは、「47RONIN」のオーディション、一次審査はLAで11月頃・・・ってところに違和感があって。

昨年、仁が秋の全米ツアーのために渡米したのが10月末(たしか29日頃)で、初日のシカゴ(11月7日)まで10日弱。リハーサルなど現地のスケジュールはすべて全米ツアーに向けて組んでいたはずで、そんな中でもし1日休みとかあって、運良くその日にオーディションがあったとしてもだよ、それを事務所が知らないってことあるの?  ていうか、初めての全米ツアーを前にしてそんなヒマあったの?・・・等々思ったわけw
あるいは、オフの日(にオーディション)があったとして、オフだから仁がどこで何をしているか事務所(スタッフ)があずかり知らぬことだったとしても、本当に事務所は何も知らなかったのー??などなど・・・

しかしラジオ(TOKIO HOT 100)で、他ならぬ仁本人の「言の葉」で、その疑問を払拭してくれましたね(笑)。
雑誌の方は仁の話し方がマズかったとか(?w)、あるいは聞いた記者さんが勘違いでもしたのか、とりま、何らか齟齬があったのでしょう(←都合いい?w)

◆一次審査は日本で受けた。
ということなら、ちょうどその時期(資料を見ると10月15日が応募締切になってた)日本でオーデをやっていたし、仁がWebかツイッターなどでも話していたように友達に背中を押されて(←オマエらがいてくれなかったら受けなかったでしょう的なこと言ってたよね?)、どうせ落ちるだろうと思ってとぼとぼ出かけて行った、というのも頷ける。

※余談ですが、ウレぴの記事で、取材現場に来た仁が駐車場がわからなくて「とぼとぼ」歩いて来た・・・・などと書かれていて、仁という人、ほとほと「とぼとぼ」歩くという表現が似合う男なのか?と笑ってしまったw

その後全米ツアーがあって、忘れた頃に二次審査の連絡。しかもラッキーなことに仁は米国滞在中だった・・・ということで、二次審査で本格的にプロデューサーや監督らと面接したのがLAだった、というわけですね。

その時には、仁のこれまでの経歴・・・日本の人気アイドルグループのメンバーだったこと、そのグループを脱退したことや、あろうことか無謀にも(と敢えて言うのは、アメリカ人の目にはそう映ったかもしれない)ソロシンガーとしてアメリカ数都市でライブを行うなど米ショウビズ界への進出を目論んでいることなどは当然あちらサイドには知れ渡っていたはずで、そんな冒険心のある生き方も面白い(興味深い)とか、覇気のある若者だとか思ってもらえたのかもしれませんね。

もちろん仁本人の英語力だったり、キャラ、オーラなども重要なポイントだったとは思いますが。

ところで、おなじみワーナーの田端さん。
アジアン・コミュニティから裾野を拡げていきたいとのお言葉に、日本人がアメリカン・ショウビズ界で浸透してくことがいかに難しいものなのかを改めて感じています。

でも前にも書いたように、元は黒人の音楽だったR&Bをベースにした音楽を認めさせた白人ミュージシャンがあまたいるように、YG(Yellow Gold)な日本人が放つR&BやHIP-HOPが地理的にも心理的にも「国境」を越える日がいつか来る・・・・ハズ。

これまでも仁は一つ一つのハードルを越えてきた人だから。地道ながらも着実に夢を実現させてきた人だから。

どうか1枚や2枚程度のアルバムですぐに結論を出さずに、長ーーい目でJin Akanishiという人を温めていってくれることを願うばかりです。
おかえり
仁が誰かのコンサートに来たとか聞くと、以前はその場に自分がいないことが口惜しくてならなかったんだけど(といっても私はその時コンサートをやっている「誰か」のファンではないので自分がそこにいないのは当たり前なんですがw)、今日はとても冷静に速報を聞いている自分がいます。なぜだろう?

それよりエイトコンに仁が来たことが嬉しいっていうか、エイトメンは亮ちゃんをはじめ、横すばなんかがいて、仁にとって(ジャニーズの中では)気楽なメンツなんだろうなーと思う。

日本での束の間であろう日々、大いに楽しんで下さい。
日本人のR&B
最近「27クラブ」(27歳で亡くなったロックミュージシャンたちをこう呼ぶらしい)のことを調べていたら、ローリング・ストーンズのメンバーだったブライアン・ジョーンズ(1942-1969)にヒットした。

私がストーンズを知った時にはもちろんもう亡くなっていたので、ストーンズのメンバーとしては自分の中ではブライアンの影は全くもって薄く、敢えて言うなら、中学時代に立ち読みしたストーンズの伝記(or暴露?)的な本に書いてあった「1ヵ月に関係を持った女性の数が60人」(ということは1日平均2人か!1ヵ月31日の月は62人なのか?などとくだらないことを考えた。爆←)という小娘的には衝撃の記述だけが強烈で口アングリになってましたけどw

しかしwikiによると、ストーンズがデビューした時(1963年)、ブライアンは「イギリスの白人大衆に“本物の”R&Bを聴かせる」という意外にも骨太な目的を持っていたらしい。逆にキース・リチャーズは「ポップスター」になることを目標にしていたとか(へぇ~キースにもそんな時代が・・・w)

※蛇足ですが、当初はストーンズのリーダー的存在だったブライアンには作曲能力がほとんどなかったらしく、オリジナル曲を量産していくジャガー/リチャーズに次第に主導権を奪われていったそうな。ただしwikiによると、
ブライアンは作曲こそ殆どしなかったものの、楽器に触れるとすぐに演奏を憶えられたと言われ、ギターの他にハーモニカ、ピアノ、シタール、ダルシマー、メロトロン、マリンバ、リコーダー、クラリネットといった20種類以上の楽器を演奏できるマルチプレイヤーであり、それらの楽器を曲に織り込むアレンジャーとしての能力は卓越していた。 (中略) 彼のR&Bを基調とした音楽性は、初期ストーンズの方向性を決定付けるもので、ミック、キースらにも多大な影響を与えている。

私は元々詞や曲を創るだけがミュージシャンじゃないと思ってたので(例えば歌がズバ抜けて巧いとか楽器が超絶テクニシャンだとか、自らの全身を以て音楽を表現する人もいるわけで)、そういう意味ではブライアンは「楽器職人」だったと言えるのかもしません。

さて、翻って仁さんは、「自分の好きな音楽を好きになってくれたら嬉しい」とは言うけれど、誰かに何かをわからしめたいということ以上に、まず第一義は「自分の好きな音楽を自分で表現したい」という人だと思う。

白人でも黒人でもない、yellow goldな日本人である仁がアメリカの大衆に向けて「日本人が奏でるアメリカ発祥の音楽」を認めさせる、聴かせる、その道のりは並み大抵の労苦(厳しさ)ではないでしょう。

それでも仁はアメリカの音楽が大好きで、日本ではまだちょっと受け入れられ難い土壌もあるし(注)、いや、日本の土壌がどうであれ、本気でアメリカの音楽に取り組みたいと思ったら、本場に行くしかないんだよね。それって例えばオペラを目指す人がウィーンとかイタリア(でよろしかったでしょうか?w)などを目指す構造と何ら変わらないんじゃない?
(注)日本でも洋楽が受け入れられているにもかかわらず、なぜか日本人アーティストが全編英語詞のシングル曲を出すのはいまだに「冒険」なんですよね。もう15年も前になるけど既に国内では揺るぎない地位を築いていたB'zですら「Real Thing Shakes」という全編英語詞シングルをリリースした時そんな感じだったし、そのせいかc/wなしで1曲のみ収録の500円(安価)シングルにしてました。テスドラにしても、日本では通常のシングルにせずにミニアルバムにしたところが、(レコード会社が)「冒険」を避けていた体(てい)を感じなくもないw

B'zの例はさておき、仁が今後もアメリカで量産するであろう英語詞の曲を、日本向けに日本語の詞で・・・とかでなく、日本でもそのままシングルとして出してもらえれば、仁の目指す方向性なり音楽性なりを日本でももっと違った意味で認知されるのになぁ・・・と思ったりします。やはり巷で流れやすい(一般に聴いてもらいやすい)のはアルバム収録曲より、そのアーティストのイチオシ曲であるシングルですから。
もちろん日本では日本語の曲を出すのが絶対的な悪でもないし、日本でのステージで日本語の曲を演ったっていいと思う。海外のミュージシャンだって日本公演でカタコトの日本語でリップサービス(コンニチハとかw簡単な挨拶程度の)をしたり、あまつさえギターで「荒城の月」を演奏しちゃった人もいる(笑)。アメリカのステージでは仁だってオール英語で歌って話して、一方日本では日本語で話したり歌ったりするのもそれはそれでアリでしょう。まぁそれとは別に、仁がアメリカで演るのと全く同じノリのステージが見たいっていう気持もあるけどね。

おっと、話が日本市場にそれた。

いや、日本では幾分勿体ない売り方をしているなーというだけで、それよりも、日本人が作詞作曲やアレンジを手掛けたR&Bやhip-hopがどこまでアメリカ市場で受け入れられるのか、私としてはそこに興味が尽きないわけです。
良質なものを創っていけば、いつかは必ずアメリカンにも振り向いてもらえる、聴いてもらえる、認めてもらえると信じているけれど。
仁は日本の歌謡曲を向こうに持っていこうとしてるわけじゃないよ。同じ土壌で勝負したいだけなんだ。

勝負といっても仁は基本「表現したい」だけで、勝ち負け云々を言っているのではないけれど、やはりその道のりは闘いでもある。

心の中で応援するしかできないけど。がんばれという言葉はあまり言いたくないけど、心の中で仁がんばれがんばれって念仏のように唱えるようなw(←語彙がなくて申し訳ないw)、そんな祈るような気持ちで応援してまっせ!
What time is it in the world?
で、世界で活躍してくれんの?
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Author:アマノン
2003年7月25日のMステで仁と出会う。ジャニーズのくせにビブラートをかけられる歌声に感心し、なおかつ誰よりもしなやかな腰使い(笑)のダンスに心底魅せられる。以来3年間、密かにライトなファンを続けるも、2006年10月以降「休業」による飢餓感から某tubeで過去映像を漁り、仁に完堕ちして現在に至る。
自分の視点で仁への思いをブチまけたくて始めたブログです。
東京都在住。出版社勤務。

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