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守るだけが人生じゃない
FCIモーニングEye見ました。
仁がちゃんと顔を見せて、意欲的に語っているのを見たらホント頼もしくて。
ツアーのコンセプトの通り、仁の目は未来に向いているんだなと改めて感じた。
「守るだけが人生じゃない」って「SHOT!」のじゅんのパートですけど、今日この曲を車の中で聞いて、心に響くものがありました。

さて、今日は必ずしも仁とは関係ない話なんですけど、とあるミュージシャンの話をします。

その人の名前はピーター・フランプトン(Peter Frampton)。1950年生まれのイギリス人。シンガー、ギタリスト、ソングライター。
フランプトンといえば、1976年1月にリリースした2枚組ライブアルバム「Frampton Comes Alive!」が1年間にわたって全米アルバムチャートの上位を独占し続け、全世界で1,200万セットを売り上げ、スーパースターの座に駆け昇った人。
しかし一発屋・・・というと語弊があるが、翌年出したオリジナルアルバムはライブアルバムの余波もあってか(?)ヒットしたものの、70年代の終わりと共にだんだん忘れられていった・・・。ということは一定に年代以上(笑)のコアな洋楽ファンの方ならご存知のことでしょう。

そのフランプトンは7歳で初めてギターを手にし、8歳にしてプロのミュージシャンになることを決意。
16歳の時にアイドルバンド、The Herdに加入してプロデビュー。その端正なルックスで一躍大人気アイドルとなり、1968年頃には「68年の顔」と言われるまでになる。
しかしアイドルスターとしての自己に満足できなかったフランプトンは69年にHerdを脱退すると、Small Facesのギタリストだったスティーヴ・マリオットと共に新たなバンド、Humble Pieを結成。
ところが2枚看板だったマリオットと徐々に音楽的方向性の食い違いが生じ始めたことから、3年後にはハンブル・パイを円満脱退。
その後はスタジオ・ミュージシャンとして腕を磨く一方、ソロアーティストとしてのキャリアもスタート。
1974年からは本格的にアメリカに渡って、まさに「草の根」運動のように、ライブツアーを行っていく。
75年あたりから彼のライブは評判になり、6ヵ月の長丁場で敢行した全米ツアーのハイライトをまとめたものが上記の2枚組ライブアルバムとして結実していくわけです。

8歳でプロを目指すくらいだから、元々アイドルになりたかったわけじゃなくて、純粋に音楽的志向の強い人ではあったんだろうけど、自分のやりたい音楽のために安定(といってもザ・ハードやハンブル・パイは必ずしも安定していたわけではないにせよ)を捨てて、ソロになり、さらに単身アメリカに殴り込みをかけて・・・というところに、時代も立場も国も超えて、シンパシー(共鳴)を感じてならない今日この頃で、もうずいぶん昔に買った「Comes Alive」のCD(←何がそんなに良くてあんなに売れたのか知りたかったので)も結構聴いてます最近。
※バンド系なら「音楽性の違い」で脱退だの解散だのは珍しいことではない(だからフランプトンが特異な例というわけではない)けどね。

後から思えば不思議なんだけど、Comes Alive(つまりコンサート)のオープニング曲はSomething's Happening(何かが起こっている)という曲で、その歌詞には
Who said it's my year?(1番)
I know it's my year(2番)
とあり、その詞の通り、1976年はフランプトンの年になったのよね。
さらにアルバムのタイトル「Frampton Comes Alive!」も日本語風に言えば、「フランプトン、生きてここに参上」?(爆)
元アイドルということで、偏見の目で見られたこともあったらしいです。
でもたった一人でここまで成し得た・・・・という彼なりの意地みたいなものも感じますね。今にして思えば。

・・・・とそんなことをツラツラと考えていたら、仁担の間で話題のトシ・カプチーノさんも携帯サイトで

将来を見据えた彼の決断とオリジナリティーを追求する姿勢にエールを送る

と言ってくれてるそうで。私も全く同じ気持ち。

あたしは仁がアメリカに行くことには大賛成で、4年前に仁がLAに行ってた時、もしどうしても日本の芸能界がイヤなら(あるいはジャニーズ事務所本体?それともKAT-TUNというグループそのもの?がもしイヤなら・・・といっても彼の本当の心情はわからなかったけど)いっそそのままアメリカにいろ。難しいかもしれないけどジャニの手の届かないアメリカで音楽活動をすればいい(←日本にいて事務所に妨害されるのが怖かったから)。とにかくどういうカタチであれ音楽とダンス(=エンタメ界)だけは絶対にやめてくれるな、と祈るように思っていたことを旧ブログに書いたことがあるけど、まさかジャニーズ事務所のバックアップで仁がアメリカに行ける日が来るなんてあの時は夢にも思わなかったなぁ。

そうそう、拍手コメで教えていただきましたが、壮行会で仁がゆっちとコラボったエミネムの曲の歌詞が

音楽はあなたのものだから手放すな たった1度のチャンスを逃すな

という意味(概要)だったそうで、そこを敢えて選ぶなんて仁も自分の進むべき道、やるべきことがわかってるじゃん(笑)

・・・って、ここまで書くのに、書いては保存し、書いては消しで、2週間くらいかけてしまいました(汗)。
ずいぶん間が空いてしまってごめんなさい。
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「気付き」
いくつかのブログさんで仁が「A Page」に込めた想い(@Music Talk)を読ませてもらって。

最初にこの曲が世に出た時に、ファンに宛てた内容だと教えられて、実際とある意訳を読むとそう思えたけど、さらに英語詞と照合しながら読み進めていくと、必ずしも「ファン」ではなくて、仁の周りにいる大切な人(たち?)に向けたものなのかなぁとも勘繰ったりで(笑)ワケわかんなくなってました。←

私は仁がしばしば「わかってくれる人がわかってくれればいい」と語っていたことがずっと気になってました。
いろいろなことがあって彼の中で葛藤があって、その上で辿り着いた一つの「悟り」みたいなものがそういうことだったとしても、なんて勿体ないんだろ・・・仁を見ているのは「仁のことわかってくれるファン」だけじゃないのに・・・そのままじゃいけないって泣けるほど口惜しくて。
もちろんすべての人にわかってもらえたり好かれたりするわけじゃないにせよ、それはそれとして、それでもなお自分から何か働きかけることも必要じゃないの?って思ってた正直。

でも・・・
世間からネガティブなイメージを持たれることにそれこそ「人並みに」(=普通の人と同じように)苦しんでいたこと。平気そうに強がっていたけれど、別に平気だったわけではないこと。
そのことを知ることができてよかった。
「struggle」という表現に胸が痛んだけど、一つの明るい材料として

I don't really want it of that image.

には仁の強いポジティブな意思を感じて・・・自分のイメージとかどうでもいいとかいい加減に考えてたり開き直ってるんじゃなくて、「自分のこと(立場も含めて)このままじゃいけないってことにちゃんと気付けてるじゃん」という意味で、私はこの部分が頼もしく感じて、嬉しかった。
そこまで自分でわかってるんだったら、その想いは創作面に投影されるだけでなく、もっと他のシーンでも、仁にとってプラスの力になるんじゃないかな。

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諸々覚書
力尽きたと言いつつも、まだまだ壮行会の件は書き足りない思いで、続きに思い出したことなどをツラツラと。

その前に。
残念ながら私はアメリカへは行きません。
当初発表されていた「9月から」だったら夏休みを取ってNYかシカゴ辺りにでも行っちゃおか・・・と思ってました。
※ウチの会社は9月末まで夏休みが取れるし、「夏休み」という名目があると通常の有休よりは連続休暇が取りやすいのだ。

そのために夏のボーナスもヘタに他のことに使い込まないよう、入金と同時に全額貯蓄用の口座に移し替えたりしてたんだよね(笑)。←結局それが9月の車検で(一部が)消えてるんだから虚しい・・(笑)

さらに8月半ばくらいまでは夏休みも取らずに我慢してたんだけど、待てど暮らせど9月に入ってからもなおUSツアーの詳細が発表にならず・・・
結局、壮行会で来年仁の国内ツアーもあることが発表されたわけですが、それより前から・・・最後の仁マニュで「日本でもガンガン活動していきたい」という言葉を心の支えに、私は日本で仁の活動を待とう、という心境になってました。

まぁ未練がましく11月のNYへのパックツアーとか料金とか調べたりしちゃったけどね(笑)。
仕事のこともあるし、それ以外に個人的な事情もあり、今回は見送りますが、いつかタイミングが合えばアメリカの地で仁を見てみたいです。

LAで仁の全米ツアーが最初に発表になった時にいち早く「今度こそアメリカに行って!」と言って下さった名古屋のta**さん、ツアースケジュールが発表になった時に「それでいつのどこのに行くの?」と当然の助動詞「べし」の如く(笑)言ってくれたLAの親友anちゃん、ありがとう。
米・NJ在住のE**さん、会いに行けなくてごめんなさい。でもなんといっても仁自身がアメリカまで来てくれること以上の喜びはないですよね。初めての生仁を堪能してきて下さい!

続きからは壮行会3日二部&4日二部で思い出したことを追記しておきます。

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10/4 二部
壮行会が終わってまだ1週間も経ってないのに、どういうわけだかもう遠い日の出来事のような今日この頃。
・・・といっても、頭の中ではBASS GOやYELLOW GOLDの曲が異常なまでにグルグル回ってるんですけどね(笑)。

4日夜のレポ・・・といってももういろんなブログさんで詳細はあらかた出てしまってるでしょうし、3日の分を書いただけで既に力尽きている感じです(苦笑)。
てか、「4日夜の思ひ出」といえば、なんといっても「ゆっちが来てくれたこと」に尽きてしまいそう

ちなみに3日に亮ちゃんが来た時の歓声ももちろんすごかったのですが、4日にゆっちが現れた時のファンの歓声たるや、まるで地鳴りのように会場を揺るがすような感じで、亮ちゃんの時とはあきらかに種類の違う凄さを肌で感じました。

亮ちゃん、タッキーが来て、オーラスに誰か来るとしたら順当に考えると山P?
相方は「ダークホース」として松潤の名前も挙げてました(笑)。
でももっと黒い(?)ダークホースとして私が本心で望んでいたのは実はじゅんの。他のメンバーじゃイヤとかあり得ないとかそういう意味じゃなく、単純に「赤西くん大好き」なじゅんのなら意外と案外と予想外に思いがけず(←しつこっ!笑)来ちゃったりしないか??と思ったワケです。

それに「公私にわたって仁と仲良しの人」が来るよりKAT-TUNメンが来る方が「サプライズ度」的には断トツだし、それこそ「オーラスならではのBigサプライズ」じゃないですか。
でもいくらなんでもKAT-TUNメンはなかろう、と周りの人からも言われ・・・(苦笑)。
そうだよねぇ、ここにKAT-TUNメンは誰であろうと厳しいよね・・・・と理屈でわかっていても、それでも心中密かにわずかな可能性に期待を賭けてもいました(笑)。

そこへゆっちが来てくれて・・・やっぱりこれは本当に驚きと喜びが大きかったなぁ・・・。
ちなみに相方ならびに知人(←偶然席番号が近かったので一緒に見た)は私以上に「オンリー担」ながら、それでもゆっちが来てくれたことには特別な感慨があったと後で申しておりました。

続きからはレポというほどじゃないけど、思い出せる範囲で。

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10/3 二部
※今回の記事はすっごく長くなってしまったので、PC推奨です(汗)

相方名義で入れた3日夜。
2月の友仁以来、8ヵ月ぶりに見る仁に・・・いや、そんなブランクなんて関係ないね、「赤西仁」その人にもう~あり得ないくらい本気で一心不乱に集中した90分でした。

そして仁はこんなに大勢の人から目一杯愛されてるんだなーと心から感じられた温かい空間でもありました。
仁は奇をてらうでもなく、いい意味で自然体で普通の青年で、MCは噛んでばかりで(笑)、でもいざライブパフォーマンスになるとそんな可愛らしさをいい意味で打ち消す、すっかり成長した「大人の男」で。セクシーという言葉だけでは表しきれない、何ともいえない「大人の色香」であって、ここだけは可愛いなどという言葉はもはや冒とくである(笑)。
嗚呼、仁の成長ぶりを教えてねって読者さんからも言われたのに、こんな言葉でその魅力を存分に伝え尽くせないのがもどかしい(苦笑)

私、以前このブログで元々洋楽(ロック)が好きだと・・・KAT-TUNでいえば例えばヘルノーやMOONみたいな洋楽バンド的な音が好きだと書いたことあったけど。
だからね、今だから正直に言うと仁が目指してる音楽・・・club music?HIP-HOP?的な音が・・・もちろん心から愛してる曲もいっぱいあるよ!・・・・
2月の友仁で仁が自分のやっている音楽を聞いて好きになってもらえたら嬉しいというようなことを言っていたけど、果たして本当に自分はこういう音楽が好きなんだろうか?仁がやってなければ自分から積極的に聴くタイプの音楽だろうか?・・・という葛藤が自分の中にずっとくすぶってたのよ(悲)。

その後、LAコンでの新曲を聞いても他のファンの方々のように(一部の曲に対しては)心からハマって聴き込むこともできず、これだけ仁のこと好きなのに、仁のファンのハズなのにそういう風に思う自分を持て余してた部分もあったのです。

でも今回、壮行会に参加して既存の曲も含めて仁の生の音楽に触れて、そんなことはどうでもよくなった。
なんつーか、今回ほど仁の声(ボーカル)を好きだと思ったことはないくらい、心が震えた。
初めて仁を見た時に、どちらかといえばボーカル以上にダンスに目を奪われたクチだったけど、今回ダンスは少なめなこともあって、目で見るより(といっても終始仁をガン見状態だったけど)、ある意味「耳で仁を感じる」ことの方が多かったかもしれない。

特に「A Page」は・・・これブレスの面では一気に歌い上げるのが実に難しい曲だよね。
少しハラハラしつつも、2月の友仁の時以上に(←私にはそう思えた)懸命に・・・文字通り命懸けで全身全霊をかけてファンに届けようとしてくれる仁の心意気に、もうこちらまで呼吸を忘れんばかりに魅入られてた。8曲の中にこの曲を選んだこともやっぱり歌詞に込めた想いを改めてファンに伝えたいんじゃないかなって思ったし(←あくまで想像です)

初日だったので、一部(昼公演)のネタバレなしで臨みました。仁から何か発表があるなら、やっぱりそれは仁の口から初めて聞きたいと思ったので。
てっきり英語の曲ばかりだと思っていたので、「Eternal」を聴けたのは嬉しかったです。歌詞も曲も私は大好きです。
Eternalといえば、この曲をデビューシングルにするのは意外でした。アルバムか、シングルのカップリング(ヘタすりゃ初回限定盤とか)など、形はどうあれ音源化こそ確信していたものの・・・。
やっぱり日本国内においては、シングルは「日本語の歌詞」ありき、なのかな。

それと世間的に「ヒール」のイメージを持たれやすい仁がソロとして再スタートするにあたって、比較的万人受けしやすいバラード系で、メロディも歌詞も泣ける内容であるこの曲をデビューシングルとして持ってくることによって、「負のイメージ」を払拭していきたい・・・もしかしたらそういう事務所的な思惑もあるのかな?
・・・ま、本当の思惑・内情なんてファンにはわかりようもないけれど、芸能人である以上、多かれ少なかれ「イメージ戦略」も必要。
Eternalのシングル化については、私はそんな風に受け止めてます。


※余談ですが1996年にB'zが「Real Thing Shakes」という全編英語詞の曲をシングルとしてリリースした時、90年代のB'zといえばいわば「絶頂期」にあったにもかかわらず、そのB'zをして、ちょっとした「冒険」的試みだったようで、カップリングなし・1曲のみ収録の(当時としては珍しい)500円シングルでした。「洋楽」ではなくて、あくまで日本のアーティストであり、J-POP畑ということを考えると、全部外国語の歌詞というのはなかなかシビアなものがあるのかもしれません。

できるだけ多くの人に聴いてもらう(=イチオシの曲)にはやはりシングルであって、できることなら日本でも「WONDER」をシングルとして発売するのが夢だけど、これは「アメリカでの夢」にも託してる。

すんごい長くなったけど、続きから亮ちゃん登場のMCについて。
当然「密録」もしてないし、メモもとってないので順番も適当、言葉も一言一句正しいわけではないと思います。管理人の主観も多少なりとも交ざっている可能性もあります。それをお含みおき下さった上で、それでもいい方は続きからどうぞ。

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What time is it in the world?
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Author:アマノン
2003年7月25日のMステで仁と出会う。ジャニーズのくせにビブラートをかけられる歌声に感心し、なおかつ誰よりもしなやかな腰使い(笑)のダンスに心底魅せられる。以来3年間、密かにライトなファンを続けるも、2006年10月以降「休業」による飢餓感から某tubeで過去映像を漁り、仁に完堕ちして現在に至る。
自分の視点で仁への思いをブチまけたくて始めたブログです。
東京都在住。出版社勤務。

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